日本において『映画』という文化が始まったのは、
1890年代半ばのことで、神戸の『神港倶楽部』から始まりました。
先日もご紹介した『キネトスコープ』で、
日本の民衆に楽しまれるようになり、
その後、日本にもたらされたリュミエール兄弟の『シネマトグラフ』で
1897年に初のスクリーン上映が行われます。
当初の映画は、音声収録がされていない『無声映画』が主流だったので、
『弁士』という人がスクリーンの横に立って、
上映内容の説明をする人が居ました。
しかもこの弁士、ただ説明するだけでは観客が楽しくないので、
楽しんでもらう為の工夫を凝らした人が、
芸人的に人気の出る弁士として生き残れたんだそうです。
当時は、”映画”や”動画”という言葉が生まれる前だったので、
『活動写真』という言葉が遣われていました。
なので、『活動写真弁士』、略して『活弁』とも呼ばれていました。
話を戻して、
日本で初めての映画は、浅野史郎による『日本橋の鉄道馬車』
という映画です。
これは、大晦日の日本橋の様子を撮影した物で、
輸入したばかりの撮影機器をやっとの思いで使えるようにしたもので、
浅野は当時苦労したようですね。
さて、日本の映画史、まだまだ面白い所がありますが、
ここから先は、また別途。
以上!皆さんご存知、あの安部でした。